芝川ビル「建物語」

101号室のトリビア!

このサイトでもしばしばご紹介している
芝川ビルの施主・芝川又四郎の回顧録『小さな歩み』の中に、
「祖父母の住んだ建物のことを中裏というのですが、
その茶室を、芝川ビルができたときに、その第三応接室にはめ込みました。」(p.78)
という一節があり、以前から気になっていました。
この茶室は現存せず、図面にも仕様書にも「茶室」はおろか、「第三応接室」という部屋も見当たらないことから、一体どこに茶室が埋め込まれたのかははっきりしないままでした。
ところが、先日別件で資料を調べていると、設計変更にあたって昭和2年6月2日に府知事より出された建築認可証に次のような記述があったのです。
「第壹階
 元事務室内ニ木造ニテ(舊家屋ノ一部)茶室ヲ設ク
 尤モ仕様ニ通常日本風ノ手法ニヨルモノニシテ壁砂壁トシ床畳敷トス。
 階段室ヨリ出入口新設」
そして、認可証に添付された図面 一階「事務室」(現・101号室)には、
茶室と思しき平面が赤で書き加えられています。
▼芝川ビル1階平面図(F01-020-006)
061.jpg
まさに、鉄筋コンクリートの箱の中にすっぽりと嵌め込まれている様子。
061-02.JPG
このお部屋は現在、写真のような形でパブ「the COURT」の一室として利用されていますが、
茶室とパブには和洋のスタイルの差こそあれ、人が集い、飲物を介してコミュニケーションを楽しむ“社交の場”という意味では共通点も感じられます。
となると、この空間がパブとなったのも、
偶然ではなく、何らかの必然だったのかも知れない・・・との思いがよぎるのです。



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