芝川ビル「建物語」

小さな 小さな エレベーター

芝川ビルの各階には、小さな小さなお部屋があります。図面で見ても名称がないことから、当初「これは何?」「物置では??」などと勝手な想像を膨らませていたのですが、実は小さな小さなエレベーターだったのです。
そう。竣工当初の芝川ビルにはエレベーターがありました。第二次世界大戦中の金属供出で失われてしまいましたが、エレベーターシャフトは今も各階に残っています。仕様書や図面などの当時の資料を紐解きながら、在りし日のエレベーターの姿を振り返ってみましょう。
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エレベーター関連の資料
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1階共用部分にある、ひときわ小さな扉(写真左端)。*)なんと幅は60.5cm!
もちろん、ドアだけ小さくて中が広い・・・なんてこともなく、中だって幅、奥行とも1mちょっとのミニマムサイズ!現在は配管が収められ、物置代わりに使われているこの空間を、「昇降籠」が上へ、下へと動いていたのです。
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(資料:F01_020_099)
「昇降籠」は「檻」とそれを支える「外枠」からなり、「毎分八十呎(フィート)」(約24m)の速度で、地下1階から4階までの行程「四十二呎六吋(インチ)」(約13m)を移動しました。
「檻」(”檻”って・・・笑)は「二呎二吋二分ノ一」(約66cm)四方の平面ですが、乗客定員はなんと「三名」!ちょっと狭すぎるような気もしますが・・・。しかし積載重量も「五十貫」(約188kg)とありますから、結構な重量に耐えられたのですね。小さいながらもパワーがあります!
「檻」は出入口以外の三面は、「鉄板製腰板」(下部)と「クリンプ金網」(上部)からなり、出入口部分には、当時のエレベーター扉のお約束「鉄製伸縮戸」を装着。
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「鉄製伸縮戸」を開けた様子を描いた図面(資料:F01_020_002_3)
エレベーター内と各乗降口には、「昇」、「降」、「停止」の三つのボタンがあって、これを押すとその通りにエレベーターが操作でき、エレベーターの運転状況は、各階昇降口上部の「昇降標示灯」によって知ることができました。
ちなみに、運転時間は「自午前八時至午後六時」の制限つき。
1890(明治23)年に日本初のエレベーターが浅草の凌雲閣に設置されてから約35年、建物の高層化と共に、エレベーターも徐々に普及してきた時代。とは言え、エレベーターは当時まだまだ珍しい存在だったはず。ましてや個人ビルでの設置となると、関係者の方々の興奮ぶりが目に浮かぶようです。
ちなみにこのエレベーター、注文請書によると、「人荷用昇降機 壱基 金四千圓也」、「昇降機据付工事費 金参百八拾五圓也」。高いのか安いのか見当がつきませんが、ご参考までに。
*)各階のエレベーター昇降口は、エレベーター設置当時からのものか、はたまた後からつけ変えられたものなのか、はっきりとはわかっていません。ただ、仕様書にある「昇降口ノ扉 金網硝子入スティールドアー」の記載は、まさにこの扉を指しているように思われます。昇降口がドア式というエレベーター、とても珍しいように思うのですが、小さな小さな昇降口の扉には最適と言えるかも知れません。
■参考
千島土地史料F01-020-002「芝川ビル昇降機建築認可証」、大正15(1926)年
千島土地史料F01-020-099「人荷用電力昇降機注文書」、大正15(1926)年



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