芝川ビル「建物語」

芝蘭社家政学園 新聞広告

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(▲資料番号:F04-001-046)

"二月二十日 朝日"と鉛筆で記された、記事の切り抜き。

芝蘭社家政学園は、その評判を聞いて入学される方が多かったようですが、
新聞でも広告を行っていました。

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(▲資料番号:F04-001-150)

こちらは割烹の先生を募集する"三行広告"の申込書。
一回の掲載料金は四円(求職の場合は二円五十銭)、
掲載日を指定したり、匿名にする場合は五十銭が上乗せされたようです。

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続いては「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」への広告申込書。

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(▲資料番号:F04-001-124)

宛先の「株式会社 萬年社」は高木貞衞(たかぎ・さだえ)氏が1890(明治23)年に大阪・今橋4丁目(現在は御堂筋の一部)で創業した"広告取次業"の会社。今で言う"広告代理店"ですが、当時はこういった業態はなかなか理解されず、高木氏自身も「商売往来に無い商売をしている」と説明していたとか。
(ちなみに、"広告代理店"という言葉を初めて使ったのは、他でもない「萬年社」で、1910(明治43)年のことだったそうです。)

萬年社はなんと創業の翌々日に大阪毎日新聞社と広告一手取り扱いの契約を交わし、1894(明治27)年には大阪朝日新聞とも取引契約を結んでいます。

テレビもインターネットもない当時は新聞広告が主流で、大阪毎日新聞と大阪朝日新聞は、新聞社の中でいち早く広告収入を一大財源としたと言われています。


さて、話が少し脇道にそれましたが、広告原稿はこちら。

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(▲資料番号:F04-001-123)

右上には"二月中旬 大阪毎日  二月上旬 大阪朝日 掲載"と書かれています。

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いずれの広告も要点のみの小さなものですが、
さてさて、これらの広告による"宣伝効果"は如何ほどのものだったのでしょうか?


■参考
「万年社広告100年史」、万年社100年史編纂委員会、万年社、1990


※掲載史料の無断転載は固くお断りいたします。



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