芝川ビル「建物語」

消防訓練(?!)の巻

芝川ビルには、建設当初から設置されたと思われる「防火シャッター」が残されています。長い間“開かずのシャッター”ならぬ“開きっぱなしのシャッター”だったのですが、この度シャッターの開閉実験が行われることとなりました。

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芝川ビルの防火シャッターは、地下~3階は正面階段に、4階はポルティコへの出入口にそれぞれ設置されています。

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1階の様子。
写真右手に見える縦溝がシャッターの通り道です。

その溝の手前にあるのはこちらのボックス。
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SUDZUKI’S AUTOMATIC STEEL ROLLING SHUTTERS
      KENCHIKU-KANAMONO-SHOKAI
               TOKYO
         鈴木式自働防火シヤッター
            建築金物商会製造
 

「建築金物商会」は、鈴木富太郎氏により1903(明治36)年に創立された老舗。数度の商号変更を経て、現在はトステム鈴木シャッター株式会社として事業を続けておられます。

トステム鈴木シャッターさんのサイトによると、1896(明治29)年に日本銀行本店に取り付けられた英国製のものが日本で最初のシャッターで、「明治30年代に入ると洋式建築にはシャッター、サッシ、ドア等の輸入建築金物が用いられるように」なったのだそうです。

1920(大正9)年の「市街地建築物法」の施行によりシャッターは法的地位を得、1923(大正12)年の関東大震災により、その有効性が認識され、普及に拍車がかかったのだとか。

芝川ビルの竣工は、関東大震災の4年後の1927(昭和2)年。ましてや施主の芝川又四郎は、「火に強い建物を建てる」ことを芝川ビル建設の至上命題とし、関東大震災の現地視察も行っていたほどですから、シャッターは“必須設備”だったと言えるのかも知れません。

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話が少し逸れてしまいましたが、芝川ビルのシャッターの開閉実験、まずは“開きっぱなし”のシャッターを閉じるところから始まります。

安全のため、詳しい手順をここでご紹介することは控えますが、芝川ビルの「自働防火シヤッター」はその名の通り、簡単操作で後は“自動”で下りてくれます。

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但し、ギイギイ、キイキイとそれはそれはすごい音が。

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とは言え、なんとか下の方まで閉まってくれました。


さて、シャッターを閉じた次は開かなければなりません。
開く際には下のような“秘密(?)兵器”が登場!

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これをボックスに差し込んで、ぐるぐるぐるぐる・・・と回し、シャッターを“巻き上げる”のです。

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この作業、実はなかなか大変。
「エイ!エイ!」声を上げながら10回転して、ようやく14cm程度の上昇。

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最後まで開け切るには結構な体力が必要ですが、シャッターが上がっていくに従ってどんどんハンドルが軽くなっていくのもまた事実。最後はとってもラクチンにハンドルを回すことができました。

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非常時の際の防火シャッターには、“本番”がないことこそが幸せの証と言えます。
しかし防火シャッターは、いざという時には私達の“命”を救うというとても重大な任務を帯びた、大切な大切な設備なのです。

使わないからと忘れてしまうのではなく、これからはもっと心にかけなければ・・・と反省した次第です。皆さんも、芝川ビルにお越しの際には「もしもの時はよろしくお願いします。」と是非声をかけて下さいね。






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